2026年8月27日木曜日

ボソッと(コメ余り、書き換えました)

 

最近、テレビをつけると「去年の米の在庫が大量に余っている」「今年は豊作で米農家が困っている」という報道をよく目にする。
ゲストコメンテーターたちは「農家を守るために、みんなで米をたくさん食べよう」などとその場限りの安っぽいコメントをしたりしていた。
私はこれに激しい違和感を覚える。
ちょっと待ってほしい。なぜ、そんなに「去年の米の在庫」が残っているのか?
思い返せば、2024年の夏、日本中のスーパーから米が消え、私たちは本当に困っていたはずだ。当時、政府や農水省は「データ上、主食用の米の在庫は足りている。流通のどこかで目詰まりしている」と言い訳を繰り返していた。
店に1袋も米がないのに「在庫はある、目詰まりだ」という。
では、その「目詰まり」の正体は何だったのか。
結局のところ、市場の品薄や新米の概算金(農家への前払い金)が高騰していく気配の中で、卸業者や集荷業者の間で「いくらで取引するか」という激しい価格交渉が行われ、納得のいく条件が整うまでお米が動きにくくなっていた側面は否定できない。
そればかりか、高騰する価格に目をつけ、農家へ直接出向いて通常より高値でお米を買い占めていく新規のバイヤーや一部の業者の動きまで報道されていた。その結果、一般のスーパーには高額なお米すら並ばず、完全に棚が空っぽになるという異常事態を招いた。値上がりを期待する市場の心理が働き、お米がスムーズに表の市場(店頭)へ出てこなくなる原因(目詰まり)になっていたのではないか。
実際、その翌年である2025年になっても高値が続いたため、政府は米不足や価格高騰を解消するために、国の備蓄米から59万トンもの大量放出に踏み切っている。本来なら、民間の倉庫にあるお米が通常通りに流通していれば、国の備蓄米をこれほど大放出する必要などなかったはずだ。
それにもかかわらず、2025年の段階でもなぜかお米の高値は維持され、店頭に十分な量が回らなかった。その裏には、「まだまだ高値が続くはずだ」「新米が出るまでは高く売り抜けることができる」と見込んで、在庫を倉庫に抱え込み、出荷量をコントロールしていた業者たちの思惑があったと言わざるを得ない。
しかし、この強欲な「出し惜しみ」は大きな計算違いを生んだ。あまりに高値が続きすぎたため、消費者が一斉に買い控えやパン・麺類への移行という「米離れ」を起こしたのだ。結果として、高値を維持しようと抱え込んでいたお米は予想外に売れ残り、行き先を失って倉庫に留まり続けることになった。
そして、2026年現在になって残っている昨年米の在庫が、あの政府放出量とほぼ同数になっていることは、当時の不自然な流通の目詰まりと出し渋りが、現在にまでダイレクトに影響を及ぼしている証拠ではないだろうか。
当時は価格の高騰や先々の思惑から、結果的に消費者の手元に届かなかったお米。
それが今になって、高く仕入れすぎた古米が売れ残り、新米の価格も下がって大損しそうになると、今度は手のひらを返したように「米が余って困っているから助けてくれ、食べてくれ」と国民にすり寄ってくる。
あまりにも都合が良すぎるのではないか。
国民に助けを求める前に、まずはあのときなぜお米が正常に流通しなかったのか、その不条理な仕組みや政府の対応の遅さをしっかりと検証し、消費者に説明するのが筋というものだ。
歪んだ流通のツケを、いつも最後に払わされるのは私たち消費者である。この不条理な「コメ余り報道」の裏側を、私たちは冷めた目で見る必要がある。


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